白地に赤い筆文字で表紙いっぱいにこのタイトルが書かれた装丁やハードカバーの分厚さからして、いつもの著者の作品とは違う重厚さがあって、なんとなく気になった。
個人的にはこの作家のイメージは、曖昧模糊としたくっきりとした輪郭を持たない感情を、変に理屈に落とし込まずに物語からじんわりと浮かび上がらせる名手、というものだった。時代の空気を表しているのか、若者の在りようを見せているか、セリフまわしはなかなか現代的に、しかし文体は微妙に固く、するすると読めるのに深みも感じさせる。
ただし、その作品で言わんとすることがどうにも分かりにくい。
パレードという衝撃作でもそれは同じで、結局のところ今作でもそれは相変わらずではあった。
時代は現代、舞台は九州地方の田舎の街、とある肉体労働者の若者による殺人が物語の起点となっている。
視点は事件の関係者の数だけ移り変わり、それぞれの人生にとって、それぞれの生活にとって、その出来事はどう映っているのか、丹念に淡々と描写されていく。
誰かにとっての誰かへの印象は、別の誰かにとっての誰かへの印象とは別のものである、ということや、誰かにとっての悲しみは、別の誰かにとっての喜びに近かったりする、というようなあまり気持ちのよくない本当を、ただただディテイルを積み重ねて浮かび上がらせていく。
ノンフィクションチックに感じられるくらいドライな文章が、なぜかより読み手の胸を掻き乱すようにページをめくらせる。
筆者は有罪無罪という法律の話だとか、そういう即物的な部分については全く意識していない。
時代というものの中で、社会には様々な構造的な歪みがあって、例えば今という時代には格差なんてものがあったりして、様々な境遇で生きる若者がいて、そこにある欲望や衝動や願望がぶつかりあって起こる悲劇もあるだろう、ということだと思う。
そして、考えれば考えるほどわけの分からない代物になってしまう「正義と悪」という観念的で不確かなものを持ち出して最後に読者に問いかけるようにこの物語は終わるのだ。
「悪人」ってなんだ。誰が彼を彼女を「悪人」と呼べるのかと。
著者の表現したいことは一貫していると思う。
ただ、この作品はそれを表現するため、より強く読者に届くようなかたちを模索して、その手法に大幅に工夫を凝らしてみたのだ。
そしてそれは今作を、結果的に間口の広い、エンタテインメントとして高性能な小説にさせていると思う。
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